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この胸いっぱいの愛を

えっと。
本日の日記は、映画「この胸いっぱいの愛を」のネタバレにつながると思います。
映画をまだご覧になっていない方。
映画を見に行く予定はないけど、ネタバレはイヤ。
暗い話題はヤダ。
と仰る方は、申し訳ないのですが、読み飛ばして下さいませ


 

 


 


 

今日、朝イチで私の元に訃報が入りました。
高校時代からの友人で、趣味が合う為に一緒にコンサートや映画に出かけることも多くて、本当に親しくている大切な人が、大切な人を亡くしました。
その人が倒れた、と彼女から知らされたのは、夏で。あれから3ヶ月も経たず、このようなことになってしまうなんて、多分彼女も、周りも、誰も予想していなかったと思います。
別の聖様ファンの友人と、一緒に映画で間宮さんな聖響さんを見よう、という約束は、キャンセルになりました。
でも、私も、今日一緒に映画に行くはずだった友人も。数日前から彼女の様子がおかしいことには薄々気づいていて、約束もキャンセルになるかもしれないなぁ、と。お互いに心のどこかで思っておりました。
朝から涙が止まらなくて、でもバイトに穴を開けるわけにはいかなくて。
普通に出勤したのですけれど。
とても悲しいのに。
気を抜いたら、すぐにでも涙が溢れてしまうのに。
それでもお客さんを前に「いらっしゃいませ、こんにちは」と。いつもどおりの挨拶をして、いつもどおりにレジを打って……と動けていることが、とても不思議でした。

そして今夜。
誰よりも大切な人を失った彼女に、どのような言葉をかけたらいいのか。
二次創作といえど、一応文章を書く身でありながら。
彼女を前にしても、彼女の肩を抱くだけで、気の利いた言葉は何一つ浮かんできませんでした。
今夜は、亡くなられた方へのご冥福をお祈りすると共に。亡くなったご本人ではなく、後に残された彼女のために泣くことを許してください、と。そう祈りながら、ご焼香してきました。

そんなことと重なったためでしょうか。
6日の試写会、8日の公開初日に見た「この胸いっぱいの愛を」は、ただ聖響さんやストーリーに感動した、というだけでなく。いろいろなことを考えさせられました。
あの映画を見た後。確かにもの凄く感動したのだけれど、何か釈然としないものが、私の中には残りました。

それは、ラストシーンの解釈がどうの、ということではなくて。
主人公の比呂志の初恋の人である和美さんが、「生きる」という道を選択したものの、結果として重い障害を負いながら、たった一人残されてしまったことへの悲しさでした。
どうして釈然としなかったのか、という答えは、映画のノベライズ版を読んで、はっきりしました。
……なんでノベライズを買ったかと言えば、比呂志さんと指揮者・間宮さんの間でどんなやりとりがあったのか、知りたかったという、ただそれだけなんですけどね(笑)。
ノベライズの結末は、映画とは違っています。
具体的には言いませんが、私はノベライズ版の結末の方が好きだなぁ、と思いました。

あの映画。
主人公の比呂志も、ヒロも、和美さんを育ててきたお父さんも。
周りの人は、障害が残ってもいい、どんな形でもいいから、生きてほしいと願うわけです。
そして、結果として、和美さんは「生きる」ことを選び、でも重い障害を負ってしまって、階段を昇るのも、床に散らばったみかんを拾うのも、重労働という生活を送ることになってしまうのですね。
手術を受けて、生きてほしい。
そう強く願って、そのために行動を起こす比呂志さんには、もちろん感動しました。でも、同時に思ったのです。
重い障害を背負って生きることになる彼女のためにも、自分の未来を変えて、自分もまた「生きる」方法を模索して、その道を選んでほしかったなぁ、と。

でも、映画では、比呂志さんはそれをしませんでした。
そして20年後。
お父さんも亡くなって、一人暮らしの和美さんは、ニュースで事故のことを知って、本当にたった一人残されてしまうことになる。
それが、パンフレットにも書いてありましたがまさに「ナイフを突きつけられたように」、心が痛いと感じました。
ラストシーンで、現実は酷だけれど、心の中は愛に満たされているのだとわかっても、やっぱり哀しかったのです。
どんなに辛いことがあっても、逃げ出したい現実があっても。
自分の命数が尽きるまでは、ちゃんと前を向いて生きなければいけない。
だけど、たった一人というのは、やっぱり辛いなぁ、と。

この数年、相次いで祖父母を亡くしたり、今回のような出来事があったり……と。
身近なところで訃報が続いていて、残される者の心の痛みというものを、多少なりとも味わっているからかもしれないのですけれど。
辛い時や苦しい時や、悲しい時に。
ただ側にいてくれる誰かがいてくれるだけで、救われることもあるんだなぁ、と。
今日、一緒にお通夜に行ってくれた友人がいなければ、今頃まだ、悲しみに暮れて涙の底を彷徨っていて、ブログを書くほどにまで気持ちが復活していなかっただろう、と。
心からそう思ったこともあって。
「この胸いっぱいの愛を」の結末は、映画よりもノベライズを支持したいなぁ、と私は思いました。

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コメント

おはようございます。
私も昨夜、観て来ました。
いろいろと思いましたが、感想(とは言えないなぁ)は少しだけ拙blogに書きました。
聖響さん、凛々しいお姿でしたね。

投稿: 親父りゅう | 2005.10.22 10:30

ようこそお越し下さいました、りゅう様(^^)。

映画、ご覧になったのですね。
あの聖響さんは、いつもの聖響さんとは一味違っていて、やっぱり「映画仕様」なんだなぁ、と。先日のコンサートを拝見して思いました。
仰るとおり、とても凛々しくて、いかにも「偉大な天才指揮者」という感じで映っておられたように思います。

TBとコメントをありがとうございます。
そちらのブログも、拝見させていただきます。

投稿: 結月秋絵 | 2005.10.22 11:51

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